針の長さ

「教育実習」―この言葉を聞いたとき、教員を志す皆さんは何を感じるだろうか。

 

おそらく、多くの人が、「夢である教師の第一歩」であるとか、「生徒とふれ合うことのできる貴重な時間」、あるいは「困難で過酷な労働」といったように、何かしら特別な感情を抱くように思う。教育実習生をみたことがないという人はほとんどいないであろうし、直接教生と関わったことがあるという人も決して少なくはない。なにより、最低でも義務教育の九年間は、教職を生業としている大人たちと接していなければならないのだ。教育実習に対して特別なものを抱くというのは、ある意味必然であるようにも思われる。

 

しかしながら、私の抱いていた教育実習への想いというのは、そうした特別なものとは全くかけ離れたものであった。抱いたという表現もおかしいのかもしれない。正確には何も感じなかった、というのが最もしっくりくるように思う。それほど私は教育実習というものに対し、冷めた感情を抱いていた。

 

お世話になった高校の関係者の方からすれば、このような実習生は迷惑千万。本当に申し訳ないのだが、今思えば、このように心を閉ざすことが、当時自分に自信を持てず、あらゆることに弱気になっていた私の、たった一つの自己防衛手段であった。

 

前置きが長くなってしまったが、これから自身の教育実習について振り返ってみる。

私が実習を行ったのは、私の母校である〇国際高等学校という所だった。県内有数の、とは言い難いが受験をすれば必ず受かるという所でもない、いわゆる中堅に位置する進学校である。私の担当教科は化学で、クラスは授業、ホームルームともに同じクラスを担当した。この高校では、クラス編成をする際に文系理系、そして習熟度を指標としている。私の受け持ったクラスというのは、理系で最も習熟度の高いクラスであった。

 

実習初日、クラス担任の先生の紹介を受け、私は担当するクラスの教壇に初めて立つことになった。生徒と初めて対面する機会。通常、この場面では笑いかけるなり、意気込みを語るなりで、生徒との距離を縮めようと試みるのがベストだろう。生徒の反応一つでこの教育実習の内容は大きく変わる。そうわかってはいた。わかってはいたが、私はそれをしようとはしなかった。

 

初めて教壇に立った私の口先から出てきたのは、名乗るのみの事務的な挨拶のみ。別段、時間が押していたというわけではない。ただ自身を知ってもらおうという気持ちが湧かなかったためである。生徒に対する興味も無かった。自身がこれまで深く教員を信頼したことがことがないということもあるのだろうか。お互いに関与しない関係。これが教員と生徒にとっての正しい距離感だと私は決めつけていた。

 

それが生徒にも伝わったのだろう。数日間は生徒と事務的なこと以外で会話することがまったくない日が続いた。そのときの私は特に何も感じなかったが、その状況というのは、周囲からみればよほどのものだったらしい。それは私を気遣った先生から、「経験のある教師でも、クラスの雰囲気を掴むのに数週間かかる場合があります」とさりげなくフォローの言葉をいただくほどだった。

 

ホームルーム、清掃、休み時間、登下校と、これだけのチャンスがありながら、生徒との会話が全くないのもそうであるが、生徒との距離が最も強く現れたのは授業であった。前述しているが、私が授業をしたクラスは習熟度が非常に高い。そのためか授業中の態度というのが、良くも悪くも他のクラスに比べて真面目(冷静)であった。その上に重なる、まったく生徒と打ち解けていない状況。当然ながら授業中の雰囲気というのは非常に重い。自身で生徒が発言できない雰囲気を作り出してしまっていたのだから、私が感じている以上に生徒はやりづらかったに違いない。私は自身の価値観を一方的に押し付け、一方的に突き放していた。

 

ここまでが私の教育実習において最も後悔している時間である。今から考えると情けないことこの上ない。もっと他に書くことがあるだろうとも思ったが、どうしてもこのことを胸に刻んでおきたかった。この後一人の生徒のおかげで前向きになることができたのだが、そのことについては、今回ふれないでおく。

 

話はかわるが、人と人との距離観について「ヤマアラシのジレンマ」という言葉が使われることがある。これは寒空にいる二匹のヤマアラシが、お互いに身を寄せ合って暖め合いたいが、針が刺さるので近づけないという否定的な意味と、紆余曲折の末、両者にとってちょうど良い距離に気づくという肯定的な意味の両者で選択的に使われているものである。私の行動をヤマアラシに例えるならば、今回の失敗は、相手の針が長くて傷つくかもしれない、あるいは自身の針が長すぎて相手を傷つけるかもしれないと、私が臆病になってしまったことに起因する。結果技術や知識の不足ではなく、精神的な面という最悪の形で多くの人に迷惑をかけてしまった。自身の針も相手の針も、実際に近づいてみるまで長さはわからない。